<路上の掟 2>

先日の話だが、、副業業務中に阪神高速を走行中、前を行くセルシオに追いついて左からパスしようとしたら、、、ウインカーも出さずに車線変更してきて進路をふさがれた。特に危ない行為でも無かったので怒りもしないが意図が不明だ。で、右レーンには色も全く同じセルシオが走行しており、後ろの車内にはきちんとスーツを着た屈強そうな男が数人。

簡単な推論だが、先行車とその中の人間をガードするのが後続車の役目。どうみても官ではないので暴力団の構成員。前のVIPは組長か大幹部、後ろはボディガード、、、。

護衛の役目として、当然VIPの横に並ばせる訳にはいかないのだろう。立場上襲撃される理由くらいあって当然という訳だ。が、それは暴力団の論理であって、「私」がその論理に従わなければならない必然性など全く無い。

オーダー終了後に市内に向けてタキシング中であり、取り立てて急ぐ理由も無いのだが、、、、無駄なブレーキを踏まされる事と走行ペースを崩される事とふざけた論理に従わされる事は嫌い!!なのだ。よって抜く事に決定、、、2〜3分掛けたが他の車を餌に使ってブロックさせずに前に出て抜いてやった。

勿論路上での話だが、このレベルの暴力団員は利に聡いので行動が予測できて御しやすい。予測も理解も不能な女性ドライバーや枯葉マーク、最近特に多いkitty guyドライバーに比べればなんでもないと思う。喪うモノの多い方が負け、ですな。

どちらの論理が正しくて説得力があるかなどではなく、その場の路上では取り敢えず行動だけで測られてしまう。たとえ暴力団員だろうがバイク便ライダーだろうが関係は無い。これはただそれだけの事なのだが。
「自分の認識や行動が正しい」という前提が無いと何も出来ないのは当然だし、それが「常に正しいのか?」と幾度も自問し再検討しなければ陥穽に陥るのも然り。別にこの二つが矛盾しているわけでは無い。表裏のバランスを取れということだ、、、。 更に言ってしまえばもとより人間は矛盾を孕んだ生き物って事らしい。

ま、これらの点については充分に同意出来るのだが、、、個人的にはそうであったとしても、詰まらない事に拘泥するコインの片面のみであろうとするかのような無駄な努力も嫌いではない。だから一面ではこんな愚行も平気で行うし無駄に長生きする気も持たないのだ。

2005/10/12